ヒ ス ト リ ア 鎭 雄 記【第 八 段】
昭和19年頃 上海神社の記念碑の前にて
日本は神の国である。だから 日本の行く所 神 在りで、神社も当然ある訳ですネ。誰を祀ってあったかは不明。
兄も内地から転校して来た。兄との記憶は上海時代から始まりました。
【防空頭巾・警戒警報・空襲警報・防空壕・灯火管制・ゲートル・水筒・戦闘帽】こんな言葉を、今 思い返せば噴飯物ですが当時は、何の疑念もなく、水筒を携え脚絆を巻いて、何かの訓練よろしく、隊を組んで通学したものです。
警報が鳴れば下校です。途中で防空壕に入った事も、高空を米B24辺りが飛んでいるのは見ましたネ。
しかし、攻撃を受ける事は無かったですネ。
日本軍の高射砲は飛行機まで届かなかった。
当時の親父は何を考えていたのか、日本が “ 鬼畜米英 ” をやっつけると、 ” 大東亜戦争 “ を勝利すると、本気で信じていたのナ???
後日、日本人会の500名以上の引揚者を引き連れて、上海から帰国する事に成るとは想像したのだろうか???
ワシにとってのこんな歴史を記録しておきます。
古びた話で、ご退屈さま ❢
では、又 ヨロピク ね ❢