ヒ ス ト リ ア 鎭 雄 記【第 七 段】
幼 年 期
地名をグーグルアース 上で探すと
上海は右下
南通は中央 揚子江の北
ジョコウは更に上方左寄り 如● の表記
中国に渡った山本一家 ( 兄は内地に残ったので ) ジョコウの家の中庭で。
叔母が写っているので 南通 か上海と思 われる。撮影は父親。
趣味で写真をやっていたオヤジは DP屋どころか電気も無い所でどうやってこれらの写真を残したのか不思議です。
生前にもっと話を聞いて置けば良かったなァ。
ライカ ( Leica ) の35mm版機を使用し、現像液 定着液は 🗾 日本から取り寄せたのでしょう。焼付けの光源は日光を利用出来る装置を自作してやっていましたネ。
当時としては、かなり ハイカラ か モダン か 少し変った今で言えばオタクとでも言えるでしょうか。
そしてこれらの写真は、内地の祖父母などに送ってあった物のうち、後年ワシが入手した数葉の内の一部です。
何しろ戦後の帰国時には大人も子供も ” リュックサック “ 一つ持った “ 引揚者 ” でしたから、写真等持ち帰られる筈もなかったのですョ。今では想像も出来ない時代でした。
そして、この当時を知る人は皆 居なくなりました。残った一人だって、何時まで持つか分かりませんがネ。
記録保存の意味でアップします。
まァ、そんな訳で 🌛 月に1回位古臭い写真の展示会にします。
それでは、お付き合いを頂き有難うございました。
では 又 ヨロピク ね!